深谷と渋沢栄一

JR高崎線の深谷駅はレンガ造りの立派な駅舎です

 深谷駅をレンカ造りにした理由は、当地出身の明治の実業家「渋沢栄一」がにレンガの製造に向いた土が取れる深谷に、日本で始めてレンガ製造会社を創立したからです。ここで作られたレンガは東京駅や帝国ホテル、法務省等日本中の主だった建物に使用され日本の近代化に貢献しました。すなわち深谷の英雄「渋沢栄一」の偉業と国産レンガの発祥地深谷の象徴としてレンガの駅舎にしたのでした。

「渋沢栄一」の生家

 私が深谷に向かったのは、「渋沢栄一」の生家を訪ねるためでした。残念ながら、生家は修復の最中で覆いが掛けられていました。

 正確には渋沢の生まれた家とはいえません、彼の生まれた家は明治29年の火事で消失してしまって現存しているのは渋沢の姉さんが建て替えた母屋です。生前渋沢はこの家に度々里帰りしていたので、渋沢ゆかりの家と言えるでしょう。

渋沢家は元は農業を営んでいましたが、藍染めで財をなしました。

 次に紹介するのは、渋沢が長年頭取をしていた第一銀行の社員達が出資し渋沢の喜寿を祝って作られた建物です。東京都世田谷区の第一銀行保養施設「清和園」内に建てられたものを深谷市に移築したものです。渋沢がいかに第一銀行の社員から崇拝されていたか伺われる建物です。建物の名前は渋沢が自ら「誠之堂」と命名しました。

外壁は、3種類の煉瓦を縦横と巧みに積んで壁面を飾っています。縦に積まれた煉瓦は壁から少し突出することにより美しさを増しています。

天井はアーチ状になっており、渋沢の喜寿を祝って鶴と亀の模様が型取られています。

 窓はしゃれたステンドグラスになっています。渋沢が行動の模範にしていた「論語」の教えにちなみ中国調のデザインになっています。

東西南北が漢字表示になっている珍しい風見鶏

喜寿とデザインされた煉瓦

「誠之堂」は設計者の心意気とセンスの良さを感じる建物でした。当地に移設後も地元の人々が会合などで使われているという事を聞き、嬉しい気がしました。

渋沢家にあった、渋沢栄一がパリで撮った写真(左)と髷を落とした写真(右)

渋沢栄一に贈られた2つの建物